【リトアニア】日本語しか話せないことは幸せなこと

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リトアニア ※クライペダの写真

リトアニア ※プルンゲの動画 2/16 この日はリトアニアの独立記念日でした

リトアニアで感じた違和感

2024年1月14日~3月3日の約1か月と少しの間リトアニアへ滞在しました。

クレチンガ→プルンゲ→クライペダ→ヴィリニュスに行きました。

リトアニアで1か月と少ししか過ごしていなかったのですが沢山リトアニアの国旗を目にしました。そこで感じたのは「なんか、めっちゃリトアニアの国旗見るな~」という違和感がありました。物凄く見るのでリトアニア人に聞いてみました。

TOMOHIKO-BLOG
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リトアニアに来てめっちゃ国旗を見るんだけどなんか理由あるの?

友人
友人

リトアニア人は「リトアニア人である」というアイデンティティと愛国心が強いんだ。歴史的背景からだね。

リトアニアの歴史

恥ずかしながらリトアニアの歴史を全く知りませんでした。

14世紀末までポーランドとの合同で現在のベラルーシ全域、ウクライナ全域、ポーランドの一部、ロシアの一部を支配下に治めるヨーロッパ最大の国家だったが、その後はロシア、ドイツ、フランスに占領されていた歴史があったことを知りました。

その中でもソ連による占領が長くそして残酷なものだったことを知りました。

街を歩いていろんな人と話したりしましたがお年寄りの方はロシア語を話すことができます。

若い人でもロシア語を話せる人は多かったです。

外から日本を見てみる

日本語しか話せない僕は実は幸せなことなんだ。ということを感じました。

ヨーロッパの人は小さい時から沢山の言語が話せる環境でよいな~

と思っていたけど、言語というものはその国の歴史を表しているのだなと感じました。

日本に住んでいると、「僕は日本人だ!、日本が好き!、日本人でよかった!」

そんなことを考えたこともなかったので物凄く新しい発見でした。もっともっといろんな国に行ってみたいです。

About The Auther
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2000生まれ、長崎県出身。
V・ファーレン長崎U-15→V・ファーレン長崎U-18→福岡大学→2026年にChampions Leagueに出場するためにサッカーしています。

私の海外での「経験」、「体験から得た知見」をリアルに発信しています。

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